「たきさんブログ」をご覧いただきありがとうございます!
管理人のたきさんです。
このブログは、主にアトピーについての体験談や情報を書くために作りました。
私はアトピー歴30年以上の42歳で、脱ステロイド・脱保湿を経験しています。
幼少の頃からアトピーであり、その治療のため、今までたくさんの体験をしてきました。
その体験はもしかしたら、今アトピーで苦しんでいる人の役に立つかもしれない。
自分にしかできない情報を発信できるのではないか。
そんな思いからこのブログを始めました。
たきさんの簡単な自己紹介
まずは簡単に自己紹介させていただきます。
- ニックネーム:たきさん
- 性別:男
- 年齢:42歳
- 職業:自営業
- 趣味:フットサル、筋トレ
- 興味あること:投資(米国株、投資信託)
- 目指しているライフスタイル:ミニマリスト
- 将来の目標:お金と時間の自由を手に入れて、自分のやりたいことをしながら生活すること。
- 持病:アトピー
- 妻と二人暮らし
ずっとサラリーマンでしたが、2019年4月から独立して、自営業を営んでいます。
サラリーマンの時は、長い時間拘束されることや会社の人間関係がとにかく嫌でした。
いつの日からか、できれば独立して自分の好きなように時間を使いたいなと考えるようになりました。
運良く、前の会社で独立するための人脈を作ることができ、思い切って独立しました。
今はとにかく、ご飯を食べていけるように仕事を頑張っています。
そして、将来的にお金と時間の自由を手に入れるため、いろいろ模索中です。
たきさんのアトピー歴
アトピー年表
幼少期 | 生まれて間もなくアトピーの症状が出始める。 |
小学生の頃 | 「症状が出る→ステロイドを塗る→症状が消える→塗るのをやめるとまた症状が出る」これを繰り返していた。 |
中学生の頃 | アトピーは治まることはなく、ほぼ毎日ステロイドを塗るように。 |
高校生の頃 | 高校2年生の時、脱ステロイドを試みるも失敗。 |
大学生の頃 | ステロイドの使用量が増えていき、さらにワセリンを全身に塗るようになって保湿剤依存に。 |
20代前半 | 大学卒業後、アトピーはさらに悪化していき、日常生活に支障がでるほどになっていた。 |
26歳の時 | 脱ステロイドを決意。 兵庫県の近畿中央病院に入院し、佐藤先生に診ていただきながら、脱ステロイド・脱保湿を開始。約2か月で退院。 半年後、悪化して再入院。 |
20代後半 | 家で療養。3年間ほど引きこもり状態に。 29歳の時、ようやく働けるくらいに回復。 |
30代前半 | 就職して働き出す。 アトピーは悪くなったり良くなったりを繰り返し、仕事をするのが辛い時もあったが、なんとか続けていた。 |
34歳の時 | なかなか良くならないアトピーに精神的に疲れてしまい、仕事を辞める。 同年、北海道の豊富温泉に3週間湯治に行き、劇的に良くなる。 |
30代後半 | 地方へ移住。 35歳の時に再就職して、38歳の時に結婚。 アトピーは調子の波はあるものの、概ね良い状態を保つ。 |
40代前半(現在) | 41歳の時、会社を辞めて独立。 アトピーは今現在も安定して良い状態を保てている。 |
幼少期
生まれて間もなくアトピーの症状が出始めたようです。
当然のように皮膚科へ行き、塗り薬のステロイドが処方され使い始めました。
効き目は抜群で、薬を塗れば翌日には症状が消えました。
しかし、塗るのをやめれば、そのうちまた症状が現れる。
その繰り返しでした。
小学生の頃
相変わらずアトピーは、「症状が出る→ステロイドを塗る→症状が消える→塗るのをやめるとまた症状が出る」これを繰り返していました。
皮膚科へ行けば、ステロイド軟膏が処方され、医師に言われるがままに、何の疑いもなく使用していましたね。
今でも、母親と一緒に定期的に皮膚科へ通っていたのを良く覚えています。
この頃は、将来アトピーで大変なことになるなんて思いもしていませんでした。
中学生の頃
中学生になっても、アトピーは治まることはなく、むしろ症状はさらに広がっていきました。
それでも、まだこの頃はステロイドが効いていたため、日常生活は支障なく送れていましたね。
ステロイド軟膏はほぼ毎日塗るようになっていたと思います。
中学生時代は、卓球部に入って部活に励んでいました。
高校生の頃
両親がステロイド軟膏が体に良くないということをテレビで見たらしく、高校2年生の時、東京の脱ステロイド治療を行っている病院に行き、脱ステロイドを試みました。
その病院では、水治療と称して、
- 毎日アルカリ電解水を2リットル飲む。
- 強酸性水を体に塗布する。
この2つを毎日やりながら脱ステロイドを行うというものでした。
ステロイドを一気に辞めたので、当然のようにアトピーは大悪化。
学校を長期で休むことになりました。
結局、あまりの辛さに脱ステロイドは途中で断念し、減ステロイドに方針変更することに。
この時は、脱ステロイドの恐ろしさを思い知らされましたね。
その後、ステロイドに戻ったこともあり徐々に回復、学校に復帰しました。
大学生の頃
高校生2年生の時の減ステロイドにより、一時的に使用量は減っていました。
しかし、大学生になるとまたアトピーが悪化し始め、ステロイド使用量が増加。
いつしかまた毎日体中に塗るようになっていました。
そして、この頃から保湿のため、ワセリンも全身に塗るように。
そのせいなのか、保湿剤を塗らないと皮膚が乾燥して耐えられないようになってしまいました。
保湿剤依存症になっていたんですね。
そんな状態でしたが、騙し騙しステロイドを塗り続け、大学を卒業しました。
20代前半
大学卒業後、アトピーはさらに悪化していきました。
この頃は、就職してはアトピー悪化で辞めるということを何回か繰り返していました。
精神的にもかなり参っていたのを良く覚えています。
保湿剤依存も酷かったですね。
朝と夜の2回、ワセリンを全身に塗っていました。
皮膚も保湿剤を塗り過ぎていたせいか、固くガサガサになっていましたね。
病院に行っても、ステロイド軟膏を処方されるだけで、何の解決にもなりませんでした。
どうしたらいいのわからず途方に暮れていました。
この頃が人生で最も辛かったかもしれません。
26歳の時
ステロイド軟膏はもはや効かなくなり、体と心は限界を迎えていました。
もう日常生活にも支障が出るほどに悪化していたので、とにかくアトピーをなんとかしようと必死に情報を探しました。
ある日、ネットで兵庫県の近畿中央病院に脱ステロイド・脱保湿で有名な佐藤先生がいるということを知りました。
脱ステロイドの辛さは、高校2年生の時に失敗した経験があったので、良くわかっていました。
それでも、ステロイドが効かなくなった今、もうこれしかないと思い決心しました。
意を決して、近畿中央病院に電話をしました。
その時、佐藤先生と直接話しをすることができ、事情を説明したところ、
「今すぐ、入院の準備をしてこちらに来てください。」
このようにおっしゃっていただきました。
あの時のことは、今でも本当に忘れることができません。
少し安心した気持ちと、脱ステロイドへの恐怖、両方が入り混じっていました。
その後、すぐに荷物をまとめて、新幹線で近畿中央病院へ向うことに。
自宅から最寄り駅まで父親に車で送ってもらいました。
その時の車中ではあまり会話もなく、元気のない自分を見て、父親は相当心配だったのだと思います。
駅に着いた時、父親が「がんばれよ。」と言いました。
私は「わかった。」とだけ答えて車を降りました。
今思うと両親には本当に心配ばかりかけて、時には「何でこんな体に生んだんだ」と当たっりもしてしまいました。
何でもっと親の気持ちをわかってあげられなかったのか、両親は自分以上に苦しんでいたことを理解できなかったのか、今でも後悔しています。
やっとの思いで近畿中央病院まで辿り着き、入院したその日からステロイド、保湿剤を一切断ちました。
リバウンド症状が出て、それはもう想像を絶する辛さでしたが、佐藤先生に診ていただきながらの治療でしたので、精神的には落ち着いていられました。
2週間くらいはリバウンド症状でほぼ寝たきりの状態でしたが、その後徐々に良くなっていき、1か月後にはかなりきれいになりました。
そして、2か月ほど経ったところで退院。
この時には、ほとんど症状がなくなっていました。本当に奇跡のようでした。
家に戻った時、私の良くなった姿を見て、両親は本当に喜んでくれましたね。
その後、しばらく家で療養していましたが、半年くらい経ったところで、アトピーが大悪化。
再び近畿中央病院に入院することになりました。
2回目の入院は、1か月ほどで良くなり退院しました。
20代後半
退院してから、ずっと家で療養していましたが、ここからがまた苦難の道のりでした。
病院から戻ると、どうしてもアトピーが悪化してしまうのです。
とにかく体調が不安定で、病院で良くなった時のような状態をキープすることができませんでした。
約3年間、家で引きこもり状態でしたね。
体が辛かったのはもちろん、精神的にもかなり辛かったですね。
私が辛かったということは、両親はもっと辛かったんだと思います。
ずっと面倒を見ていてくれた両親には感謝してもしきれません。
それでも、アトピーは少しずつ良くなっていき、3年くらい経つと働けるくらいに回復しました。
もちろん、退院後はステロイド、保湿剤とも一切使用しませんでした。
そして、29歳の時、建築設計事務所でアルバイトを始めました。
30代前半
29歳の時に始めたアルバイト先で正社員となり、引き続き働くことに。
アトピーは悪くなったり良くなったりを繰り返しました。
時には、悪化して仕事をするのが辛い時もけっこうありましたが、なんとか仕事を続けていました。
脱ステロイドをして5年以上経っても、なかなか良くならないことに悩んだり、精神的に参ったりもしましたね。
今思えば、ステロイド使用歴が20年以上と長かった私にとって、まだまだ体調が不安定な時期で、安定するにはもっと時間が必要ということだったんですね。
当時は、早く良くなりたい一心で、心に余裕がなく、不安と焦りばかり感じていたように思います。
34歳の時
なかなか良くならないアトピーに精神的に疲れてしまった私は、約5年間続けた仕事を辞めました。
仕事を辞めて、一度生活環境を変えてみたいという思いも仕事を辞めた理由の一つです。
その後、ネットで北海道の豊富温泉がアトピーに良く効くことを知り、湯治に行くことにしました。
3週間ほどの滞在でしたが、だいたい1週間くらいで効果が出始め、帰る頃にはほぼアトピーの症状がなくなるという驚きの体験をしました。
私にはこの温泉が本当に良く合っていたようで、今でも豊富温泉に行って本当に良かったなと思っています。
そして、帰った後も良い状態をキープすることができました。
何より私にとって大きかったのは、アトピーが悪化した時、豊富温泉で購入した原油を塗るとすぐに症状が良くなったことです。
アトピーが悪化しても、これを塗れば良くなるという自信があったので、精神的にとても楽になりました。
当時の詳しい内容はこちらで記事にしていますので、良かったら読んでみてください。
30代後半
35歳の時に地方へ移住しました。
移住した理由は、妻の出身地であったこと、また、アトピーのためにも空気のきれいな場所に住みたいという思いがあったためです。
そして、移住先でハウスメーカーの設計部に就職をしました。
移住してから、アトピーは調子の波があるものの、大きく悪化することはありませんでした。
アトピーの調子が安定してきた理由として、脱ステロイドをして10年以上という月日が流れたということが最も大きいと感じています。
私の場合、ステロイド歴20年以上と長かったため、状態が安定するまでに長い長い時間が必要だったということですね。
脱ステロイド後の状態が悪かった時、このことがわかっていれば、もう少し落ち着いてものごとを考えたり、過ごすことができたのかなと思ったりします。
しかし、その当時は本当に毎日が大変で、一日も早く良くなりたいという一心でしたので、今考えればしょうがなかったのかもしれません。
40代前半(現在)
移住後、一度の転職を経て、41歳の時に建築設計事務所を開設して独立しました。
会社に勤めていれば、安定してお給料をいただけるのでとてもありがたいですが、どうしてもストレスが溜まったりしてしまいますよね。
もうこれは、サラリーマンである以上しかたのないことです。
ストレスが溜まれば、やはりアトピーが悪化してしまいます。
そんなことから、独立して自分の自由に仕事をしたい、時間に縛られない生活をしたいと考えるようになりました。
ありがたいことにたまたま前職で、独立するのに必要な人脈ができていたので、思い切って独立することにしました。
今は設計事務所を営みながら、自由に仕事をしています。
食べていくの大変ですが!(笑)
今のところアトピーの状態も安定しており、独立して良かったなと思っています。
たきさんの今後の目標
当面の目標は、設計事務所で安定して生計を立てていくことですね。
独立したらアトピーが悪化したなんてことにならないようにしたいです。
将来的には、お金を貯めて経済的自由を手に入れ、時間に追われない自由な生活をしたいと考えています。
また、最小限のモノで暮らしていくミニマリストにも興味があるので、少しずつ実践していきたいと思っています。
40歳を超えてきたくらいから、身の回りにモノがたくさんあるのが嫌になってきて、シンプルな生活に憧れるようになってきました。
最小限のモノで、何事もシンプルな生活スタイルを目指します。
そして、何よりもアトピーをこのまま良い状態で保つことですね。
アトピーには本当に苦労して来たので、今まで経験したことをこのブログで記事にして、少しでもみなさんのお役にたてればいいなと思っています。